ブログ『りんどう』

通り掛かりのテラマイラー忠田反高の いきいきサロン・施設訪問・篳篥漫談 のトークネタを書き留めています。

きょうはあんぱんの日

 きょう24日は、わたくしの直ぐ上の兄、次兄の命日で、お内仏に「アンパン」をお供えしました。「アンパン、アンパン」と言いながら逝ったと、両親から聞いていました次兄、3歳9か月でした。

 

「お仏飯(おぶっぱん)」とは、仏壇にお供えする御飯のことですが・・・。お供えの「アンパン」まさに「お仏パン」。

 

 次兄は、昭和25年5月生まれ。亡くなったのは、昭和29年2月24日でして、3年9ヶ月の尊いこの世での寿命でした。

 

 わたくし達の家族は本家(伯父の家)に同居していました。具合が悪い次兄を「医者に診させてください」と伯父伯母に両親は請うたそうですが、拒否され手遅れで亡くなったそうです。

 

 同じ年の生まれで、一つ上の学年になるはずだった本家の長男(姉が三人の末っ子)も、当然一緒に住んでいまして、わたくしの次兄の死亡の原因が「疫痢」だと解ると、伯父夫婦は半狂乱の状態で、自分達の子供はお医者さんに診せたそうです。で、本家の長男は無事でした。

 

 そんなことも有り、わたくし達の両親の口からは、わたくしの長男(伯父伯母の母酷使で死産。息吹き返したが社会生活が送れない障碍者。)のこともあり、伯父、伯母に対する悪口ばかりでした。

 

 わたくしにとっては限りなく優しく好い伯父さん伯母さんだったのに・・・です。物ごころ付いたわたくしは、どんな風に聞いていたんでしょうか?わたくしにとって好い伯父さん伯母さんの悪口を言うわたくしの両親の狭間で。

 

 その亡くなった次兄、強く、賢く、何事にも真剣な子供で・・・(どこかで聞いたフレーズですが)、とにかく元気で、まわりの大人たちから一目置かれていたみたいです。

 

 3歳半ですよ。そんな子供がですよ。大人からですよ。

 

 で、先程のわたくし次兄、亡くなる枕もとで、「アンパン!アンパン!」と言い続けて亡くなって行ったそうです。次兄は、「アンパン」が大好きだったそうです。

 

 以来、我が家のお内仏(仏壇)には、次兄の命日に必ず供えられていました。きょうも「アンパン」をお内仏に手向け、次兄を偲びました。

 

 幼い時からズ~ッと、お下げします「アンパン」はわたくしの口に・・・。

 

 だからだか知りませんが、わたくし、「アンパン」が大好きです。「小倉餡(つぶ餡)」の「アンパン」が・・・。

くっきりが、でも久しぶりに

くっきりハッキリ我が目には見えた、暁の中の飛行機雲、我がスマホで撮ったら

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我が目で見る時の大きい月も、凄い風景も、くっきりな飛行機雲も、写真に撮ると...。

 

が今朝、飛行機雲を撮っていたお陰で、センターへの路、全ての信号が、久しぶりに青でした。

 

その上、帰りの信号も全て青、なんと!なんと!