ブログ『りんどう』

通り掛かりのテラマイラー忠田反高の いきいきサロン・施設訪問・篳篥漫談 のトークネタを書き留めています。

1500年前 2万キロの彼方から

 1500年前、2万キロの彼方から、中国を経て、日本に伝わり、そしてこの九州の片田舎にたどり着き、今、この地の、このわたくしの手の中に、「篳篥」と云う雅楽の楽器があります。

 

 何故わたくしの手元に篳篥が届いたのでしょう?

 

 時代が昭和から平成へ変わるころ、「ふるさと創生1億円事業」なるもので、我が自治体にも1億円が配布されました。

 

 時を同じくして、元NHKアナウンサーの方が県立劇場の館長に就任され、「伝承芸能の掘り起こし」をされ、我が自治体にも来られ、我が地区に伝承される「雅楽奏楽グループ」を拝見され、これからの伝承に期待を込められました。

 

 その当時高利子で、その1億円の利子も活用し、先程の「雅楽奏楽グループ」の伝承を支援しようと、住民に伝承者を募られ、そしてわたくしが手を上げたわけです。

 

 手を上げたのがわたくし一人で、一時的に、伝承者募集の話は棚上げになりましたが、隣県の神社庁から、自治体に「雅楽研修」のお誘いがあり、改めて、わたくしにもお話が来まして、研修会に出席したわけです。

 

 そこから、ちょっと大袈裟ですが、わたくしの「篳篥人生」がスタートした次第であります。

 

 「1億円」「県立劇場館長」「雅楽奏楽グループ」「隣県神社庁」等々、不思議な色んなご縁で、1500年前の2万キロの彼方から、中国を経て日本に伝わり、そしてこの九州の片田舎のこの地の、このわたくしの手に、「篳篥」と云う雅楽の楽器が届いた次第であります。