ブログ『りんどう』

通り掛かりのテラマイラー忠田反高の いきいきサロン・施設訪問・篳篥漫談 のトークネタを書き留めています。

何と云う宿縁

この地の篳篥(ひちりき) 

 

 我が居住地に、わたくしが所属致しております約10名の会員数の会、「○○雅楽保存会」と云うのがあります。

 

 宮内庁始め、神社・寺院等の宗教関係、民間団体、個人愛好家等、雅楽奏楽の場があちこちに有る訳でして、わざわざ「保存会」と云うのも可笑しいのではないでしょうか。が、現に「保存会」として実存いたしております。

 

 宮廷音楽として管理され、一般人は奏楽することが出来なかった雅楽ですが、明治初期、宮内省雅楽局が編成されたと云うことで奏楽者が殆ど東京に集められ、近畿に奏楽者の不足で、制限がなくなったと聞いています。一般人、平民も雅楽が奏楽できるようになったと云うわけです。

 

 定かなキッカケは文書等がなく解りませんが、明治12年に、この地で奏楽が数名の方々により始まったとも聞いています。

 

 以来、今日まで奏楽される方々がこの地に居られると云うのが伝承されています。約130年続く伝統ある会です。その中の「篳篥奏楽」の一人がわたくしであります。

 

 ですから、「“雅楽”を保存する会」と言うのではなく、「この地で雅楽を奏楽する人の団体を伝承して行く会」、つまり「“雅楽奏楽する人の会”、“雅楽奏楽会”を保存する会」と言った方が、本当のような気がします。「○○雅楽奏楽会保存会」でしょうか。

 

 1500年前、2万キロの彼方から、中国を経て、日本に伝わり、そしてこの九州の片田舎にたどり着き、今、この地の、このわたくしの手の中に、「篳篥」と云う雅楽の楽器があります。紛れもない事実として。

 

 何と云う宿縁なんでしょう。