ブログ『りんどう』

通り掛かりのテラマイラー忠田反高の いきいきサロン・施設訪問・篳篥漫談 のトークネタを書き留めています。

恩師逝く

恩師逝く 

 

 先日、恩師が亡くなられたと聞きました。小学校一年生の時の担任の女の先生でした。一年担任され、次の年は他校へ移動されてゆかれました。享年87才だったと云うことでした。

 

 そのT先生との記憶を辿ってみます。

 

 結婚直後(と聞きました記憶があります)に、わたくし達を担任されました。クラスの生徒数50数名、団塊の世代の終わりの頃の担任クラスの生徒数です。

 

 入学式とかの記憶はありません。が、入学前年の運動会で、次年度の入学生として、駆けっこに出た記憶が何故かあります。コース内の端っこに全員一列に並んでスタートしたのを憶えています。その場に、T先生が居られたかの記憶はありませんが、多分居られたと思います。

 

 家庭訪問の記憶はないんですが、夏休み前、わたくし、麻疹に罹患し、1学期の通知簿や夏休みの宿題など、自宅に届けて下さいました。自宅でわたくしの「妹」を可愛がって下さったことを憶えています。

 

 秋の運動会で地区対抗リレーの―年生の地区選手で出場しました。が、バトンを渡す相手を間違えて、その場が紛糾し、酔っぱらった伯父が「子供が間違えるよな色の鉢巻きをさせるな!」とグランド内に駆け込み、騒然となり、リレーが中断してしまったことを書き添えて置きます。

 

 そのあと、どうなったか、記憶にございません1

 

 クラスメイトの「遭難」話もありましたが、ここでは割愛させて頂きます。

 

 時は進み、三学期の終業式のあと、教室でT先生が、他校へ移動されると話されました。T先生は、思い出話をされながら、泣き出されました。

 

 ことの重大さが解らず、T先生が涙を流し泣かれるのを目に致しましたわたくし、何故か可笑しくなり、机の蓋を開けて立て、その蓋の陰で笑っていました。

 

 昔のわたくし達の木製の机は、木製の厚い板の蓋が分離しており、その蓋を外し立てれば、顔が隠せる格好になっていました。

 

 クラスの多くの男子生徒も、わたくしと同じように机の蓋を立て顔を隠し、笑い合っていました。「申し訳なく思います。」の一言では済まされないと思いますが。