ブログ『りんどう』

通り掛かりのテラマイラー忠田反高の いきいきサロン・施設訪問・篳篥漫談 のトークネタを書き留めています。

この地の雅楽奏楽愛好家

 この地に、雅楽奏楽愛好家のグループが有る訳ですが、何故この地にそうなのか、その由来を少しばかり。

 

 この地の雅楽奏楽愛好家グループは、九州三大祭の一つと云われる「妙見祭」という祭りの神幸行列の他、近隣の社寺等での奏楽を受け継いで来ています。

 

 起源については、実証資料となる古文書類が残されていない為、明らかではありませんが、明治12年、この地区のMM氏、NE氏により始まったとされています。

 

 雅楽は最初、仏教と共に中国を経由して日本に伝来し、また後に遣隋使、遣唐使により持ち込まれ、現代まで伝わっていると聞いています。

 

 ただ、雅楽の奏楽を許されていたのは、雅楽を代々受け継いでいる家の方達のみで、一般人が雅楽を習うことは、伝来以来、禁止されていたそうです。

 

 明治になり、宮内省雅楽局が編成された際、奏者が東京に集まり、奏者不足になり、明治6年に一般人の奏楽が認められたそうです。

 

 熊本では、一説によりますと、明治9年の神風連の乱で逃げ延びられた方により民間に広がったとか聞いたことがあります。

 

 この地の雅楽奏楽愛好家のグループ、明治12年より伝承が始まったことが、伺い知れるようです。

 

(参考資料:笹本武志著「はじめての雅楽」)