ブログ『りんどう』

通り掛かりのテラマイラー忠田反高の いきいきサロン・施設訪問・篳篥漫談 のトークネタを書き留めています。

明神さん実祭日

 一昨日、「明神さん」祭りのことを書き込ませて頂きました。以前は9月25日にお祭りを行っていたんですが、諸事情で今年も秋分の日に行われました。

 

 で、「明神さん」とは?ちょっと分かり難く説明的になってしまうかも知れませんが、昔から代々「明神さん」をお祀りされて来られたTYさんより、2014年平成26年8月にお聞きしたことを参考に、書き残すことと致します。

 

 我が地域といいますか我が地区といいますか、南班、中班、北班に区割りされた戸数約100戸の地域(地区)があり、この約100戸の我が地区に「明神さん」と呼ばれる祠が3つあります。

 

 一つは、南班のKRさんのお宅の東側の「明神さん」で、腕塘干拓の際、潮止めが難しく、人柱に立たれた方をお祀りされたものです。

 

 以前はFMさんのお宅の南側にありましたが、平野の圃場整備により昭和45,6年にKRさんのお宅の東側に改築移動されました。

 

 二つ目は、南班に以前住まわれていましたKMさんのお宅の跡地の明神さんで、行き倒れの托鉢乞食さんを祀られたものです。

 

 当初旧MMさん宅の敷地内にあったそうですが、宗教的な事情で、旧S田さん宅の南の空き地に移動され、その後、旧理容店の北側空き地に移転され、その後平成年代の県道拡張に伴い、旧KMさん宅の跡地の現在地へ移動されました。

 

 三つ目は、北班のTYさん宅の北側の「明神さん」で、腕塘干拓地の開拓の安全祈願神として祀られているものです。

 

 昭和初期までは、県道を挟んだ現在地の対面西側にあったらしく、その後、そこの東側の石垣づくりの高台に移動、更にその後(昭和32年TYさん22歳の時、現在地に移転、そして、T家両家とTM家で修復されました。

 

 と、書いていましたが、この地区の「明神さん」、あちこちに、何回も移られているんですね。

 

 で、お祀りされる日も色々変更されてきているようです。

 

 戦前は夫々3体の「明神さん」、夫々祭日は違っていたようです、一つ目の「明神さん」と、二つ目の「明神さん」は、南班が担当しておられました。

 

 三つ目の北班にある「明神さん」は、北班と南班で交互に主催して祭りをしておられました。戦後になって、10月25日から9月25日へ変更されたもようです。

 

 が、南班の場合は、一つ目と、二つ目、それに一年おきの三つ目のお祭りが複数あり有り、三つ目の祭日に統一されたようです。

 

 そして、一つ目と、二つ目は南班で、三つ目は北班でお祀りし、お祭りも、南班と北班別個に行うことになりました。

 

 平成に入りまして、北班の戸数が増え、中班が新しく独立し、三つ目の「明神さん」は、北班と中班との、一年交替の祭事主催となりました。

 

 で整理しますと、平成の終わりごろは、一つ目と二つ目の「明神さん」のお祭りを9月25日に、南班で行って来られました。

 

 三つ目の「明神さん」は、北班と中班で、一年交代の主催で、こちらも9月25日に、お祭りを行われて来ました。

 

 が、ここで問題が発生して参りました。会場の取り合いです。

 

 諸般の住宅事情で空き地事情で、南班は以前から地域に一つしかない公民館を会場にお祭りを開かれて来られています。

 

 北班と中班は、地区内にあったショッピングセンターの駐車場の一角をお借りしてお祭りを開いて来られました。

 

 が、ショッピングセンターが潰れ駐車場が使えなくなりました。そこで会場を地域に一つしかない公民館でお祭りをされようとしました。

 

 が、南班と北・中班の会場がぶつかってしまうため、以前から南班が9月25日にお祭りをされていましたので、北・中班が譲られて、平成23年度から祭日を変更されてお祭りされています。

 

 現在、各班の役員さん達が中心になってお祭りを開かれていますが、秋分の日に行われるのが慣例となりつつあるように思われます。

 

 で、以前の9月25日の「明神さん」お祭り、今年も一昨日の秋分の日に行われました。